海に眠るダイヤモンドにドハマり中‼
ドラマの再現力にただただ感動------‼
そこで疑問が…。
軍艦島の最後の住人って誰なの?
まさか!鉄平!?(←海に眠るダイヤモンド主人公)
ドラマの中の出来事ってどこまでリアルなの?
今回は軍艦島について調べてみました。
軍艦島の最後の住人は誰?軍艦島とは何??
軍艦島の最後の住人
最後の住人は「三菱鉱業の職員」、施設の維持管理を行う作業員達でした。
炭鉱の閉山後、島の設備や建物の管理・財産管理などのために残った人たちが最後の住人なのです。
閉山後3ヶ月というスピードで、1974年4月20日に島民約5000人が島を離れました。
その後も「最後の住人」達は島が完全に無人化するまでの数日間、島内で生活を続けて後始末をしていたのです。
少しづつ減って最後は1人!?で無人島生活
みたいな感じではなかったのね。
島民退去時の貴重な動画があるわよ‼
すごい大移動だったことが分かるわね↓
引用:YouTube
軍艦島とは何?
軍艦島は石炭採掘のために作った海底炭鉱の人工島です。
軍艦島の正式名称は「端島(はしま)」
長崎県長崎市にある島です。
島の形状が軍艦「土佐」に似ていることから「軍艦島」と呼ばれています。
現在は世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産 ~製鉄・製鋼、造船、石炭産業~」として正式登録されていますよ。
石炭が最初に発見されたのは江戸時代初期。
試掘を繰り返し、明治(1890年)時代に三菱合資会社(現在の三菱グループ)が島を買収。
その後、昭和初期(1970年)にかけて海底炭鉱で石炭採掘が行われていました。
炭鉱以外の産業(仕事)は無く、島民全員が炭鉱に関わっていた特殊な島。
岩礁の周りを埋めたてて作られ、南北320m、東西120mという小さな島全体を壁で囲み、最盛期には約5300人もの人が住んでいたのです。
現在は無人島になっています。
軍艦島の歴史~ドラマの再現性は?~
ドラマ「海に眠るダイヤモンド」は原作はありません、完全フィクションです。
ですが、実話をちょいちょい詰め込んだ半フィクション?のドラマだと感じます。
当時の建物映像の再現などはとても素晴らしいですよね。
結果、ドラマの再現性は比較的高いと私は感じます。
第6話の「屋上緑化」
ドラマの中で園芸部の活動に熱心な朝子(杉崎花)が印象的な「屋上緑化」。
軍艦島はコンクリートで固められた島。
最初に少しあった緑も、住民増加で建物が急増、そのほとんどがコンクリート造り。
土や緑は「0」ではなかったようですがほとんど消えてしまいました。
それではいけない‼
島民達が1910年に屋上庭園、1966年には青空農園を作り、島で生まれ育った子供たちに田畑で農業を教えていました。
実際に収穫された野菜も食べていました。
但し、塩害と水害で数年しか出来なかったようですが💦
当時の技術と発想で「屋上庭園」とは…。
時代を先取りする視野をもった人たちが住む最先端の島だったのですね。
第7話の「消えない火」
消えない火。
ドラマの中で鉱山坑内でガス爆発による火災が発生しましたね‼
作業中だった一平(國村隼)や進平(斎藤工)が巻き込まれてしまうシーンが辛すぎました。
それに近い事故は何度か実際にあったようです。
昭和39年お盆の休み明け未明に坑内で自然発火火災が起こり、直ちに海水による消火活動が行われ一時は収まったかに見えたので、土のうによる採炭現場の密閉作業を行っていた所、十数時間後に再び白煙が上がり爆発事故が起こりました。
作業を行っていた10名(内1名死亡)が負傷する事故となり全員病院へ搬送されました。
その後現場を再びコンクリートブロックで密閉しようとその準備をしていた所また、ガス燃焼発火が起こり21名が負傷すると言う大きな事故になりました。
その後坑内の採炭を諦め、坑内に海水を入れ水没させ火災を鎮火させることが出来たそうです。
総勢31名が負傷するという大事故となりました。
軍艦島の最盛期とその生活は?
軍艦島の最盛期
軍艦島の最盛期は1960年頃。
島民は約5300人
当時日本一、いや世界一人口密度が高かったとされています。
東京の人口の約9倍だったのです!
ビックリですね。
最盛期には炭鉱夫たちに向けて沢山の高層アパートを建設。
その中でも30号棟と呼ばれるアパートは1961年に造られた
「日本最古の鉄筋コンクリート造↓」の建物なのです。
当時の技術の粋を集めた島だったのですね。
炭鉱の操業が始まってから1974年に島が無人になるまで約84年間続きました。
最後の年まで黒字だったというから更に驚きですね‼
軍艦島では施設も充実していたの。
- 公共施設
- 病院
- 小中学校(高校はない)
- 保育園
- プール
- 寺社(墓地は無い)
- 旅館
- パチンコホール
- 麻雀店
- 生協販売店
- 個人商店
- 理容
- 美容室
- 映画館
などなど、なんでも揃っていたのよ。
海に眠るダイヤモンドの鉄平が住んでいたのは?
ドラマの鉄平達が住んでいたのは「端島日給社宅」。
屋上緑化で菜園を行った所ですね。
その名の通り「日給月給」で働く炭鉱夫たちの集合住宅です。
役職が上の人が一番上。
当時は階層と島民の階級が比例していたのです。
島全体が三菱鉱業の私有地だったので社宅や寮がほとんど。
その中に三菱鉱業の職員や炭鉱夫が住んでいました。
朝子のような食堂を経営する人達は社外者(三菱鉱業の社員ではない)という扱い。
会社の福利厚生などが受けられず、島民の中では唯一裕福ではない人達だったとされています。
間取りは全て2Kタイプ
6畳・4畳半、そこに広めの土間
もしくは6畳2間に狭い土間
このどちらかだったのよ。
軍艦島の生活
軍艦島では給料はとても高く、炭鉱夫とその家族は当時の「三種の神器」テレビ、冷蔵庫、洗濯機などの家電も購入出来ました。
会社の福利厚生も手厚く、会社の社宅や寮に住めたので生活費が安く済みました。
但し、常に危険と隣り合わせだったので、恵まれた環境とは呼べなかったようですけどね。
炭鉱夫以外の事務職や社外者などの人たちはそれほど給料が高くなかったものの、島全体の生活インフラが整備されていたので本土の人達より生活レベルは高かったのです。
端島は単なる炭鉱の島以上の存在になり、独特の社会や文化が生まれています。
特に最盛期の1960年前後は、日本全体のエネルギー需要の増加により石炭採掘が活発化し、島の人口は一気に増加し、生活も潤い活気づいたのです。
軍艦島の炭鉱夫は強制連行!?
軍艦島には諸説あり、強制連行された朝鮮半島の人達だとか実はほとんどが囚人だったとか…。
でも、実際は強制連行や囚人ではなく、日本人も朝鮮人も島の景気につられて移住してきた人達。
景気の波に乗って、1939年頃から朝鮮人労働者も集団で移り住んできました。
一番重労働のポジションに朝鮮人が置かれたようですが…。
その為「島抜け」をする朝鮮人が続出。
対岸の野母半島を目指して泳ぐのですがたどり着けず…。
亡くなってしまった。
そんな人達のための慰霊碑も野母半島に残されています。
そんな事が度々あったので「強制連行」だった!
という噂が出たのかもしれません。
島全体は良好な関係を築けていたようですよ。
軍艦島崩壊の理由
軍艦島崩壊の理由は一言。
石炭を掘りつくしての閉山なのです。
ドラマでは事故がきっかけで閉山へ
政府のエネルギー政策の転換「石炭から石油へ」で閉山へ
みたいな流れですが、実際は掘りつくしてしまったのが原因なのです。
炭鉱夫達も「掘る石炭がない」と納得のうえ閉山を迎えているので、島民一斉退去が出来たのです。
ドラマの中で起こった炭鉱自然発火事故も実際あったのよね!
死傷者を沢山出し、一旦は採掘量「0」の休眠状態になってしまったの。
けれど、実は事故の3年前から別ルート「三ツ瀬区域」を掘り進めていたの。
ただその時点で炭鉱寿命は10年程度と予測されていたのよ。
軍艦島の最後の住人とその歴史~海に眠るダイヤモンドは実話!?~のまとめ
軍艦島の最後の住人は三菱の社員でした。
普通に考えればそれが正解ですよね(笑)
数人でサバイバル生活のようなことは無理があります💦
何てったって三菱の私有地ですから。
ドラマでは鉄平が最後の住人になるのか…!?
真実とは違ったとしても海に眠るダイヤモンドは実話を盛り込んだとても良いドラマだと再確認しました。
軍艦島は心霊スポット!?
強制連行や囚人の恨みで霊がでる⁉
様々な噂がありますが、実際は都市伝説のようです。
一度は行ってみたい軍艦島。
どんどん老朽化も進み朽ち果てていきます。
是非自分の目で見てみたいと思う今日この頃です。
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